INTERVIEW先輩の声
私の心の支えとなってくれたのは、年下の頼れる存在がいてくれたからこそ。
- 小林 彩那
- 令和元年 入社
私の心の支えとなってくれたのは、年下の頼れる存在がいてくれたからこそ。
この仕事を始めたきっかけは、母親が以前キャディ業務をやっていたこともあって少し興味もあり、自分も出来ないかなぁと思いました。
最初に印象として残っているのが『こんな仕事、絶対私にはできない』。苦手な計算や、次から次へと分からないゴルフ用語やゴルフルール、キャディーとしての心得など、頭の中がパンパンになりました。
デキる先輩たちを見ると、手際の良さが、逆に目が回りそうになり、ただただ『ハイ』と返事するばかりでした。
キャディ業務には、お客様に打つ距離を伝えると言う仕事があって、簡単な計算をしないといけないのです。残り距離が125ヤードと奥へ17ヤード、合わせて…うーん。はじめは本当に142ヤードと直ぐに言えず、焦ると余計に答えが出てこない。もう無理だと思いました。上司と相談して『じゃぁ100マス計算からやっていこう』。計算ドリルなんて学生以来でした。最初は本当に遅くて間違えて半ば呆れた顔の上司が、もう一回やろうと何度も付き合ってくれました。
そんな中、心の支えとなったのは、高校新卒で2年目の森さんでした。年齢も近く研修でうまく出来れば毎回褒めてくれました。森さんは多分、簡単な事と知ってながらも、一所懸命さを理解してくれる年下のお姉ちゃん的な存在でした。だんだん出来るようになってきた私も、コースに出ると緊張で舞い上がってしまう。『森さん、どうすればいい? 』すべてに優しく答えてくれた森さんに感謝です。
月日も経ち、コースにも人にも慣れ、今まで暮らしてきた中で、初めて真剣に勉強したなと我ながらも感心してしまいました。その矢先に体に異変が起き緊急入院。入院は1ヶ月にも渡ると言われ、今度こそ、もうダメだと思いました。
だけど、私を救ってくれたのは、子供たちであり、森さんであり、会社の方々でありました。入院中もLINEで励ましてくれて、切れかけている心を必死に繋ぎとめてくれました。
もうやるしかない。退院後は開き直ったかのように18ホールを必死に覚えました。そして、醜いアヒルの子は白鳥に。いえいえ、まだ白鳥には程遠いですが、一人前のキャディーとなり精一杯頑張っています。
私が無事にキャディになれたのは、それは支えてくれた方々のお蔭です。人の弱さ、辛さを知っている仲間が周りにいてくれたからです。
人は風船のようなもので常に気持ちを吹きかけてあげないと、しぼんでしまう。私のような覚えの良くない風船にでも、絶えず気持ちを吹きかけてくれた皆さんに、いつまでも感謝したいと思っています。